最近買った何枚かのアルバムのうち、
リバティーンズの新譜Anthems for Doomed Youthは繰り返し聞きたくなるアルバムだった。
もうずっと前にスタッフから彼らのファーストアルバムを聴かせてもらって、
その時もいいサウンドだなと思ったのだが、
それきり聞き込むことはなかった。
しかしこの三枚目のアルバムが非常に良かったので、
ファーストアルバムを辿って聴いた。
久しぶりにこういう音もいいと思った。
僕が知っているパンクの音はこんな感じだった気がする。
いわゆるロックらしさとか、
メタルとか、
ハードコアやオルタナティヴ、
ミクスチャーとも違う、
混じり気のないパンクの音。
そんな音を聴いて、
僕は曲の作り方を思い出したような気がした。
リバティーンズのような音は一時の閃光のようなもので、
若い時に一度やってみようとすればいいものだと思う。
その時にしか生まれない奇跡のような瞬間がある。
その時にしか生まれないからこそ、
そのサウンドは説得力がある。
それでも99パーセントの人々はリバティーンズのようにはうまくいかないだろう。
年齢とともに、
時とともに自分を含めた全ては変化してゆき、
もちろんサウンドも変化してゆく。
変化しなければ、
病気になったり、
解散したり、
命を落としたり、
形だけのことをやるようになってゆく。
巨星が死を迎え爆発して閃光し、
その後徐々に暗くなりながら残光を放つ。
その美しさ。
リバティーンズの新譜Anthems for Doomed Youthは、
そんな青春の美しい残光が見えるアルバムなのかもしれなくて、
僕はそこに惹かれたのかもしれない。
ルーズで拙く時に荒々しい演奏でありながら、
聴く者を感傷的にさせる繊細な音楽だ。
リバティーンズを聞いて曲の作り方を思い出したけれど、
僕が今からあのようなサウンドをやるはずがない。
自分が若かった時だってその道を選ばなかったのだから。
僕は当時、パンクがカリソメの音楽だと理解した。
だからこそ、
その儚い輝きが眩しくて、時々憧れを感じるのだ。