宮沢賢治生誕120年イーハトーブフェスティバル

2016-08-28T14:21:00+09:00

宮沢賢治生誕120年イーハトーブフェスティバルに出演してきた。

ライブと宮沢賢治の詩の朗読をするという初めての試み。
膨大な賢治作品の中から何を読もうかとても迷った。
はじめは童話を読もうと思っていた。
僕が大好きな「ひかりの素足」か「十力の金剛石」から抜粋して読もうと思ったが、
分かりやすく文を抽出しようとすると時間が長くなるので、
詩を何編か読むことにした。
それでもどの詩を読むか長いこと迷って、

どうしていいか分からなくなった。
結局、詩集「春と修羅」の「序」から「春と修羅」までを読むことにした。

賢治の詩を人前で音読したことは無かった。
練習してみるとやはり難しく、
つっかえてばかりいて、
うまく行くか不安だった。

賢治の詩を読んでいるうちに、
30年前に僕が大学に入ったばかりのときに作った曲を歌いたくなった。
稚拙だけれども、
シュールさにおいて最近の曲よりも賢治の世界に合いそうに思えたから。

前日の夜に花巻市童話村の開場に入って21時過ぎからリハーサルを開始した。
真っ暗の山の中のステージは幻想的で、
恐ろしいようなワクワクするような感じがした。

ギターを弾いて歌いだした瞬間、
音が周りの山に響き渡った。
すごく気持ちよい音だった。
澄んだ美しいエコーだった。

詩の朗読のリハーサルでは、
夜の山に響く賢治の言葉が、
生々しく迫ってくるようだった。
ライブは夕方やることになっていたが、
真夜中にやりたいと思った。

ライブ当日会場に来てみると、
前日の夜の幻想的な景色から一転して、
木々に穏やかな陽が差し込み、
森を抜けてきた風は涼しく、
会場一帯は子供さんからご年配の老若男女の方がたくさん歩いていて、
ほのぼのとした雰囲気だった。
蝉の声もどことなく気が抜けているように感じられた。

少し時間があったので、
会場内にある花巻博物館で縄文土器などを見た。
有名な縄文遮光器土偶。
だいたい同じような顔をしてるのが不思議だ。
当時崇めていた神様の顔なのか。
宇宙人の顔ではないかとも言われてるが、
バッタかトンボの顔のように見える。
もしかしたら縄文人たちは、
コオロギを神様だと思って崇めていたのかもしれない。

お客さんは会場の席をいっぱいに埋め尽くしていた。
夕方といえどもまだ陽がある時間なので、
音への意識が少し散漫になるかなと思ったが、
ライブが始まって歌った瞬間、今日はイケると思った。
前日の夜と同じく、
うっすらと山に木霊するギターの音と歌が澄み渡って聞こえた。
一瞬で僕は歌の世界に入れた。
お客さんもみなじっと聞き入ってくれた。
歌詞一つ一つが青空と雲と森とお客さんにリンクするようだった。
曲が終わるごとに大きな拍手。
集中を乱すものは何も無かった。

この日演奏した「瑪瑙の皮膚」は、
大学一年のときにサークルのライブで一度だけ演奏した未発表曲。
現代詩をよく読んでいた頃の曲で、
自分の曲の世界から賢治の詩の世界への架け橋になると思って選んだ。

賢治の詩の朗読は、
場の雰囲気の助けが強く働いた。
まだ陽が陰る前の夕方にもかかわらず、
時に難解で抽象的な言葉は、
様々な情熱のメタファーとなり、
花巻の森に集まる人々に響いてゆく気がした。

ライブは後半に入って白熱し、
大いに盛り上がって終わった。
賢治さんを感じながら歌うことができた。
とてもすばらしい時間だった。
お集まりいただいた皆さん本当にありがとうございました!

花巻では宮沢賢治のことを賢治さんという。
花巻には宮沢賢治の存在感が濃厚にある。
いつか岡本敏子さんが、
「太郎さんはね、生きているのよ」って言ってたいたけれど、
賢治さんも花巻に生きている気がする。
ライブで歌っている時もずっと、
こいつは何者だという感じで、
木の陰から賢治さんが会場とステージを見ている気がした。

イーハトーブフェスティバル2016
田島貴男 弾き語りと詩の朗読
セットリスト


月の裏で会いましょう
青空の向こうから
オレンジ・メカニック・スーサイド
瑪瑙の皮膚(未発表曲)

詩集「春と修羅」より朗読


屈折率
くらかけの雪
日輪と太市
丘の幻惑
カーバイト倉庫
コバルト山地
ぬすびと
恋と病熱
春と修羅

プライマル
接吻
朝日のあたる道
フリーライド

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